2010年07月09日
田中一村はスゴイ!!
奄美大島の最後の日は、前日が夜更かしだったのでホテルの出発が朝10時頃になりました。
帰りの飛行機は14時50分だったので、残された時間は4時間あまり、その間にお昼ご飯を済ませ、お土産の買い物もしなければなりません。
ホテルから空港までの道のりで、これらを済まさなければ成らないので、大忙しです。
ところが、1箇所だけ、どうしても行っておきたい場所が出来ました。
それが、
「田中一村記念美術館」です。
実は、田中一村(たなかいっそん)については、全く興味がありませんでした。
奄美のガイドブックや、観光地図には、必ず「田中一村」のことが書かれていましたが、
「奄美まで来て美術館って・・・それは無い」
と、思っていましたので、
田中一村だろうが、東山魁夷であろうが南の島で「絵」を見るなんて、発想がそれ自体皆無だったのです。
ところが・・・・。
6月20日に現地から更新した私のブログに植松さんから次のような書き込みがありました。
「どこか旅行へいくらしいとは、聞いていましたが、奄美大島ですかー。私が今一番行きたいところです。日本のゴーギャン、田中いっそんの絵を展示しているところがありますよー。行ってくださいねーー。」
って書いてありました。
えっ?
植松さんが今、一番行きたいところが奄美大島、?、田中いっそん、?
????
植松さんが「田中一村」を知っていたということも驚きですが、日本のゴーギャンって呼ばれている?
しかも、「時間があったら行って見たら」とかじゃなく、行くのは当然みたいな言い回しの「行ってくださいね」と、断定的ないい方。
これは何かある。そんな予感が・・・・・。
「絵」は嫌いじゃないし、行ってくださいねーー。 って言われたら、そりゃやっぱり行っておかなくては、
途中、色々ありましたが、何とか30分ぐらいですが、美術館に寄ることが出来ました。

美術館の入り口です。ひっそりしています。
やっぱり奄美ですね。ここでも私のほかに、お客さんは見当たりません。
これは、和歌山に戻ってから、調べて解ったのですが、以前の西郷さんの島流しの遺蹟の記事で紹介した「鶴瓶の家族に乾杯」のときも、もともとはゲストの女優さんが、「田中一村」のホンモノの絵を見たいということでこの地に来たということでした。
植松さんといい、この女優さんといい・・・。
「田中一村」ただものじゃありませんね。
で、
私も見に行ったのですが・・・・。
正直、びっくりしました。
今までにも、色んなスゴイ「絵」を見てきましたが、こんなの初めてです。
私は「絵」は素人で、何がよくて、とか全く解りませんが、奄美で見る「田中一村」には、とにかく
感動しました。
田中一村は1908年の生まれ、栃木の出身で主に関東で活躍していた日本画家です。
東京美術学校の同期にはあの「東山魁夷」がいるそうです。
47歳のとき、「能登やわらぎの郷」の聖徳太子殿天井絵を依頼されて描いているので、当時そこそこに認められていた存在だったらしいのですが、当時の画壇の環境に納得せず、またもっといい作品を極めたいと、その後自身を見直すスケッチ旅行に出て、奄美たどり着きます。
50歳で奄美に移り住み、以降19年に渡り奄美での創作活動に入るのですが、とにかく「絵」のほかのことは考えず、「絵」を描くためだけに生きているという生活だったようです。
生きるために、大島紬の染色工場で職工として働き、少しお金が溜まると創作に没頭し、お金が尽きるとまた働くを繰り返したそうです。
5年働き、3年描き、2年働き、個展の費用を稼ぎ、千葉で個展をという計画だったそうです。
生涯、結婚もせず、もちろん子も無く、たった一人で、ただひたすら「描く」という人生です。
69歳のとき、10日前に移ってきた終焉の家で、夕食の支度をしていて突然倒れ、誰にも看取られること無く息を引き取ったと言われています。

この、田中一村記念美術館には、一村の子供の頃から、死の直前の未完成のものも含め、年代ごとに展示してあります。
13歳の色紙の絵
20歳の軸の絵
40歳の色紙の絵
そして、50歳以降の「奄美」での作品と・・・
奄美での作品は、それまでのとは明らかに違っています。
年代順に辿っていくと、一村さんの人生を垣間見た思いになって行きます。
一村が描く、「奄美の自然」、「奄美の生き物」に、心を奪われるような感じです。
圧倒的な迫力です。

私が買ってきた「ポストカード」の絵ですが、この絵は作品の部分でしかないうえ、小さいです。
もちろんその絵の迫力を伝えることは出来ません。
現地へ行ってホンモノを見ていただくとわかるのですが、とにかく、凄みを感じさせる作品でした。
素人の私でも、見ていて圧倒されました。
絵をネットで見たところで、なかなか伝わらないとは思いますが、NHK出版のページをリンクしておきます。
田中一村のページです。作品も見られます。
ここです
田中一村記念美術館はここ→ここ
生前には遂に「誰にも認められることなく」無名のままだったのですが、
死後数年で、NHKの番組に特集が組まれ、一躍脚光を浴びることに・・・。
出来るなら、生きているうちに世間に認められたかったことだと、今わたしたちは思いますが、
ご本人は、多分そんなこと気にしていないと言うでしょうね。
「わしはただ、絵を描きたかっただけだ。」
と、
誰かに認めて欲しくて描いたのではなく、自分が納得する絵を描きたかっただけだと・・・。
田中一村美術館では、多くの学びがありました。
自分のこれから人生に、様々考えることがありました。
一村さんを知ることが出来て、良かったです。
さて、奄美の旅の最後に、ちょっと気になる「木」について紹介します。
それは、一村さんの絵にも描かれていましたし、一村さんの生涯を映画にした作品の題名にもなっている「アダン」という木のことです。
この木、奄美の海でよく見かけました。
こんな木です。


ウィキペディアによると、この木は、
「タコノキ科の常緑小高木。亜熱帯から熱帯にかけての海岸近くで成育し、群落を作る。
ときにマングローブに混生して成育している。果実はパイナップルに似た外見、ヤシガニの好物とされる」
と、出ていました。
そういえば、奄美に着いて最初に紹介した「ヤドカリ」も、このアダンの実にしがみ付いていたっけ・・・。

果実はパイナップルに似ていますが、繊維質が多く、かなり「手」をかけなければ人間は食べられないそうです。
以前は、法事などで食べる風習があったそうですが、今はほとんど食べないそうです。
葉っぱは丈夫で、パナマ帽や、ムシロや、カゴなどを編むのに使われるそうです。
奄美の旅は、最初から最後まで、この「アダン」に見守られていたような、気がします。
アダンは私にとって、奄美を象徴する植物となりました。
和歌山に戻って、半月ほどになり、旅行の写真や、一村さんのポストカードなど見ていると、
奄美に移り住んだ一村さんの気持ちが、何となく解るような気がしています。
植松さん、教えて下さって本当にありがとうございました。
田中一村、凄かったです。
今回で奄美のレポートは終わりです。
長々お付き合いいただき、ありがとうございました。
皆さんも機会がありましたらぜひ、奄美大島へ行って見て下さい。
一村さんや、私たちのように、きっと感動をもらえると、
そう確信しています。
帰りの飛行機は14時50分だったので、残された時間は4時間あまり、その間にお昼ご飯を済ませ、お土産の買い物もしなければなりません。
ホテルから空港までの道のりで、これらを済まさなければ成らないので、大忙しです。
ところが、1箇所だけ、どうしても行っておきたい場所が出来ました。
それが、
「田中一村記念美術館」です。
実は、田中一村(たなかいっそん)については、全く興味がありませんでした。
奄美のガイドブックや、観光地図には、必ず「田中一村」のことが書かれていましたが、
「奄美まで来て美術館って・・・それは無い」
と、思っていましたので、
田中一村だろうが、東山魁夷であろうが南の島で「絵」を見るなんて、発想がそれ自体皆無だったのです。
ところが・・・・。
6月20日に現地から更新した私のブログに植松さんから次のような書き込みがありました。
「どこか旅行へいくらしいとは、聞いていましたが、奄美大島ですかー。私が今一番行きたいところです。日本のゴーギャン、田中いっそんの絵を展示しているところがありますよー。行ってくださいねーー。」
って書いてありました。
えっ?
植松さんが今、一番行きたいところが奄美大島、?、田中いっそん、?
????
植松さんが「田中一村」を知っていたということも驚きですが、日本のゴーギャンって呼ばれている?
しかも、「時間があったら行って見たら」とかじゃなく、行くのは当然みたいな言い回しの「行ってくださいね」と、断定的ないい方。
これは何かある。そんな予感が・・・・・。
「絵」は嫌いじゃないし、行ってくださいねーー。 って言われたら、そりゃやっぱり行っておかなくては、
途中、色々ありましたが、何とか30分ぐらいですが、美術館に寄ることが出来ました。

美術館の入り口です。ひっそりしています。
やっぱり奄美ですね。ここでも私のほかに、お客さんは見当たりません。
これは、和歌山に戻ってから、調べて解ったのですが、以前の西郷さんの島流しの遺蹟の記事で紹介した「鶴瓶の家族に乾杯」のときも、もともとはゲストの女優さんが、「田中一村」のホンモノの絵を見たいということでこの地に来たということでした。
植松さんといい、この女優さんといい・・・。
「田中一村」ただものじゃありませんね。
で、
私も見に行ったのですが・・・・。
正直、びっくりしました。
今までにも、色んなスゴイ「絵」を見てきましたが、こんなの初めてです。
私は「絵」は素人で、何がよくて、とか全く解りませんが、奄美で見る「田中一村」には、とにかく
感動しました。
田中一村は1908年の生まれ、栃木の出身で主に関東で活躍していた日本画家です。
東京美術学校の同期にはあの「東山魁夷」がいるそうです。
47歳のとき、「能登やわらぎの郷」の聖徳太子殿天井絵を依頼されて描いているので、当時そこそこに認められていた存在だったらしいのですが、当時の画壇の環境に納得せず、またもっといい作品を極めたいと、その後自身を見直すスケッチ旅行に出て、奄美たどり着きます。
50歳で奄美に移り住み、以降19年に渡り奄美での創作活動に入るのですが、とにかく「絵」のほかのことは考えず、「絵」を描くためだけに生きているという生活だったようです。
生きるために、大島紬の染色工場で職工として働き、少しお金が溜まると創作に没頭し、お金が尽きるとまた働くを繰り返したそうです。
5年働き、3年描き、2年働き、個展の費用を稼ぎ、千葉で個展をという計画だったそうです。
生涯、結婚もせず、もちろん子も無く、たった一人で、ただひたすら「描く」という人生です。
69歳のとき、10日前に移ってきた終焉の家で、夕食の支度をしていて突然倒れ、誰にも看取られること無く息を引き取ったと言われています。

この、田中一村記念美術館には、一村の子供の頃から、死の直前の未完成のものも含め、年代ごとに展示してあります。
13歳の色紙の絵
20歳の軸の絵
40歳の色紙の絵
そして、50歳以降の「奄美」での作品と・・・
奄美での作品は、それまでのとは明らかに違っています。
年代順に辿っていくと、一村さんの人生を垣間見た思いになって行きます。
一村が描く、「奄美の自然」、「奄美の生き物」に、心を奪われるような感じです。
圧倒的な迫力です。

私が買ってきた「ポストカード」の絵ですが、この絵は作品の部分でしかないうえ、小さいです。
もちろんその絵の迫力を伝えることは出来ません。
現地へ行ってホンモノを見ていただくとわかるのですが、とにかく、凄みを感じさせる作品でした。
素人の私でも、見ていて圧倒されました。
絵をネットで見たところで、なかなか伝わらないとは思いますが、NHK出版のページをリンクしておきます。
田中一村のページです。作品も見られます。
ここです
田中一村記念美術館はここ→ここ
生前には遂に「誰にも認められることなく」無名のままだったのですが、
死後数年で、NHKの番組に特集が組まれ、一躍脚光を浴びることに・・・。
出来るなら、生きているうちに世間に認められたかったことだと、今わたしたちは思いますが、
ご本人は、多分そんなこと気にしていないと言うでしょうね。
「わしはただ、絵を描きたかっただけだ。」
と、
誰かに認めて欲しくて描いたのではなく、自分が納得する絵を描きたかっただけだと・・・。
田中一村美術館では、多くの学びがありました。
自分のこれから人生に、様々考えることがありました。
一村さんを知ることが出来て、良かったです。
さて、奄美の旅の最後に、ちょっと気になる「木」について紹介します。
それは、一村さんの絵にも描かれていましたし、一村さんの生涯を映画にした作品の題名にもなっている「アダン」という木のことです。
この木、奄美の海でよく見かけました。
こんな木です。


ウィキペディアによると、この木は、
「タコノキ科の常緑小高木。亜熱帯から熱帯にかけての海岸近くで成育し、群落を作る。
ときにマングローブに混生して成育している。果実はパイナップルに似た外見、ヤシガニの好物とされる」
と、出ていました。
そういえば、奄美に着いて最初に紹介した「ヤドカリ」も、このアダンの実にしがみ付いていたっけ・・・。

果実はパイナップルに似ていますが、繊維質が多く、かなり「手」をかけなければ人間は食べられないそうです。
以前は、法事などで食べる風習があったそうですが、今はほとんど食べないそうです。
葉っぱは丈夫で、パナマ帽や、ムシロや、カゴなどを編むのに使われるそうです。
奄美の旅は、最初から最後まで、この「アダン」に見守られていたような、気がします。
アダンは私にとって、奄美を象徴する植物となりました。
和歌山に戻って、半月ほどになり、旅行の写真や、一村さんのポストカードなど見ていると、
奄美に移り住んだ一村さんの気持ちが、何となく解るような気がしています。
植松さん、教えて下さって本当にありがとうございました。
田中一村、凄かったです。
今回で奄美のレポートは終わりです。
長々お付き合いいただき、ありがとうございました。
皆さんも機会がありましたらぜひ、奄美大島へ行って見て下さい。
一村さんや、私たちのように、きっと感動をもらえると、
そう確信しています。
Posted by はんこ屋 at 01:34│Comments(5)
│奄美大島を行く
この記事へのコメント
う〜ん

素晴らしいレポートでした!
奄美に行ってみたくなりました
今度、
写真見せてネ



素晴らしいレポートでした!
奄美に行ってみたくなりました


写真見せてネ


Posted by 梓ママ at 2010年07月09日 02:03
すばらしいブログ、ありがとうございます。
私も行きたいとは思いながら、いそがしさに
負けて奄美大島には、行ってません。
鶏飯をはじめてとする奄美料理、島唄、大島紬、どろぞめ、すばらしい自然、田中一村など、魅力いっぱいの奄美大島です。
阪神の下柳投手も自主キャンプで、田中一村の美術館でインタビューを、2,3年前に受けていましたね。また、いろいろと教えてください。
私も行きたいとは思いながら、いそがしさに
負けて奄美大島には、行ってません。
鶏飯をはじめてとする奄美料理、島唄、大島紬、どろぞめ、すばらしい自然、田中一村など、魅力いっぱいの奄美大島です。
阪神の下柳投手も自主キャンプで、田中一村の美術館でインタビューを、2,3年前に受けていましたね。また、いろいろと教えてください。
Posted by 植松淳平 at 2010年07月10日 23:18
梓ママ様
いつもありがとうございます。
奄美は遠いので、「じゃ」と、いうわけにはなかなか行きませんが、機会があればぜひ、もう一度行ってみたいです。
植松さーん
植松さんのお陰で、悔しい思いをせずに済みました。ホントに魅力的な島でした。
阪神の下柳選手は毎年奄美で自主トレしているそうで、来るたびに少年野球のためにと寄付を続けているそうで、島の人にとって英雄のような存在だそうです。
奄美にも、阪神ファンは多いようです。
ぜひ、奄美のライブツアーを企画して、私も連れて行ってください。
いつもありがとうございます。
奄美は遠いので、「じゃ」と、いうわけにはなかなか行きませんが、機会があればぜひ、もう一度行ってみたいです。
植松さーん
植松さんのお陰で、悔しい思いをせずに済みました。ホントに魅力的な島でした。
阪神の下柳選手は毎年奄美で自主トレしているそうで、来るたびに少年野球のためにと寄付を続けているそうで、島の人にとって英雄のような存在だそうです。
奄美にも、阪神ファンは多いようです。
ぜひ、奄美のライブツアーを企画して、私も連れて行ってください。
Posted by はんこ屋
at 2010年07月12日 13:07

これがウワサの新婚旅行ですねー^^
めっちゃすごい絵♪
絵とは思えませんねーーー。
奄美って一度は行ってみたい。。。
めっちゃすごい絵♪
絵とは思えませんねーーー。
奄美って一度は行ってみたい。。。
Posted by グッドライフ
at 2010年07月13日 17:55

グッドライフ様
コメントありがとうございます。
新婚って?
でも、奄美はホントにいいトコですよ。
機会があれば、ぜひ行って下さい。
田中一村もオススメです。
コメントありがとうございます。
新婚って?
でも、奄美はホントにいいトコですよ。
機会があれば、ぜひ行って下さい。
田中一村もオススメです。
Posted by はんこ屋 at 2010年07月14日 09:33